アンディとは他人同士のような関係だった父親が、1941年に死んだ。父の死によって、生前はほとんど理解の外にあったこの末っ子の人生とキャリアの扉が開かれることになった。父と子が一緒に過ごした時間は短かったが、アンディはつねに心配のたねだった。小児科の病気で死んでしまうかもしれない、一人前の大人に成長するのはとてもおぼつかないと、父は何度も言い聞かせただろう。アンディは幼年時代に3度も重病にかかり、それを「セント・ヴィトゥスの踊り」(舞踏病)と呼んでいる。だが、その3度とも夏休みが始まる最初の日に発病しているのだ。ある程度、発病の予測がついたことから、生命にかかわる病気でないかという不安は多少薄らいだ。予測がつくとはいえ、顔や手足が痙攣するこの発作は恐ろしいものだったので、アンディは夏の間ずっと家の中におかれ、外に出してもらえなかった。意地悪なクラスメートが町の通りで我がもの顔にふるまっている夏休みには、決まっていじめの標的にされるのだ。アンディによると、その発作はこんな具合だった。
毎年、起こるんだ。1度は8歳の時、次が9歳の時、それから10歳の時....いつも夏休みの最初の日に始まった。どうしてかな。夏の間ずっとラジオを聴いて過ごし、チャーリー・マッカーシーの人形と一緒にベッドに横になって、シーツの上や枕の下は切り抜いた紙人形や切りかけの紙なんかでいっぱいだった。
参考文献/「伝記 ウォーホル パーティのあとの孤独」フレッド・ローレンス・ガイルズ著 野中邦子 訳